静岡県にとって浜岡原発の危機管理のことは
緊急命題であることは選挙前から申してきたとおりです。
そこで、民主党・ふじのくに県議団として
浜岡原子力発電所の視察にはいります。
常に厳しいチェックをしてこそ、緊張感と信用性が高まりますので
議会としては何度も何度もチェックを入れてゆかねばならないと
思っています。
さて、この原子力発電のありかた
および日本のエネルギーのありかたについて、
日本は議論すべき時を迎えています。
以前もこのブログに書きましたが、
原子力発電所のシステムおよび構造というのは
非常にデリケートで壊れやすい
例えて言えば、”ガラス細工”であると私は認識しています。
この”ガラス細工”を
鋼鉄製の落としても叩いてもびくともしない構造にできるのか、
もしくはこの際”ガラス細工”はやめてしまって
まったく違う新エネルギーに切り替えてゆくのか、
ここが議論のしどころです。
ただし、これは専門家といわれる学者・研究者のみなさまや
政治家だけの議論ではダメです。
やはり、エネルギーを使う側の国民一人一人が
この議論に参加していただかないと意味がありません。
マスコミもしかり。
今回の福島第一原発事故についても
批判や非難を「~たら」「~れば」で繰り返し、
誰かをスケープゴードにして非難を集中させたり
「責任をとれ」「やめろ」とだけ叫ぶ。
これって、底が浅すぎませんか?
原因究明をきちんとして、将来につながる議論を導く。
これもジャーナリストとしてすべきことではないでしょうか。
「報道したことに責任を持つ」。
そして「日本の将来を考え、いま報道すべきことがなにか熟慮する」。
これも必要だと思います。
物事にはさまざまな角度があります。
それを一面を見ただけで断定的に考えるのはいかがなものか。
「全体像をつかんでから正確な情報を開示する」という、
「現在と未来のこの国をつくってゆくんだ」という見識を、
「情報という権力」を扱う者としてきちんと矜持をもっていただきたい。
そんなマスコミになって欲しいと思うのは私だけではないはずです。
正確な情報を開示し、
議論をしてゆく素地をつくってゆくこと。
これが今本当に必要なことだと思っています。
ゆえに、私も微力ですがそんな情報開示と議論の素地を
つくってゆく活動を全力でやってゆきたいと思っています。
そのためにも、まずは現場をみることは怠りなくやってまいります。