地方議員としてのミッションと野望(!?)
静岡県を独立させる。
これ言うとギョッとされます。
でもこれは「独立=自立の方法を考えてゆくこと」なので、これからの地方政治家はかくあるべきと私は考えています。
- この国を地方から変える。
日本の歴史を紐解くと、天下の体制が変わる「回天」は必ず地方から攻め上がって成し遂げられてきました。
都(中央)では自浄作用が出来ない国が日本なのです。
ゆえに、地方から変えてゆくことが日本の未来を拓く答えなのです。
だから私は、静岡県からこの国を変える。
そして、次の時代をつくります。
- 分配の時代は終わった。
日本は中央集権国家制を取り入れています。徴税権を大きく国が持ち、地方に分配する、というシステムです。
でも、いまや日本国の借金は約1344兆円(令和8年7月現在)。先進国でも最悪です。
さらに地方に分配すべき地方交付税交付金を払わずに、「臨時財政対策債」という名で地方自治体に「必ず返すからさ」と言って
無理矢理借金させ、利子も払わせ、今や静岡県の臨財債残高は2兆6567億1900万円(令和8年7月現在)。県の年間予算に匹敵します。
こんな日本ではもはや破綻は目の前です。地方は自立の道を早急に探らねばなりません。
- 地方には日本の宝が潜在している。
静岡県の潜在力は日本屈指です。
工業生産力、農業生産力などはご承知のとおりですし、物流の大動脈に位置し、富士山、南アルプス、駿河湾、浜名湖、伊豆半島など
豊かな自然や水産資源、林産資源にも恵まれ、移住したい県No.1に輝くなど暮らしやすさも折り紙つきです。
では、これから何をするか。
- 1.社会をデザインする
私は政治家がみなさまから貸与されている「権限」をつかう優先順位について
「はからずも病気や事故などで弱い立場に追い込まれてしまったひと」
「はからずも自分の住んでいるところが人口減少などで郡部とか過疎地域というような弱い立場の地域にされてしまったところ」
そこに優先的に力を使い、どんなかたも安心して暮らせるような静岡県にすることが土台にあります。
そのうえで、まずは挑戦することが評価される社会をつくるコト。
挑戦は若者だけの特権ではありません。
女性や高齢者のかたでも、障害をお持ちのかたでも、海外のかたでも、ここへ来れば、挑戦ができる場所とチャンスが普通にある。
挑戦することを「特別なコト」にしない、日常の中での取り組みにするコト。
そんな社会をデザインします。
- 2.新しいシゴトをつくる
新しいシゴトはなにも新技術開発だけではありません。
日常に潜在している「社会課題」をビジネスにするという発想で、シゴトをつくります。
たとえば、「公共交通」や「介護福祉」「子育て」など日常のなかにこそ、みんながよろこぶビジネスの種がたくさんあります。
さらには、日本の「伝統工芸技術」や「文化」も実はふるくて新しいシゴトの種であったりします。
静岡県はそんな「シゴトの種」がたくさん落ちているところでもあるので、やりがいがあります!
- 3.ひととまちを守る
近年地震が相次ぎ、これは地学上の地球の変動期の様相を呈しているとも感じています。また、気候変動による自然災害も多発しています。
いままでは、構造物でひとやまちを守るという考え方(ハード面での考え方)が主流でしたが、
地球が地殻変動期、気候変動期に入ったと考えれば、これからは、知恵と経験と助け合いで守るという考え方(ソフト面での考え方)も
ミックスさせて、柔軟な対応でまちをつくり、自然と共生したSDGs(持続可能な)型社会環境をつくるとともに、
県民のみなさまのさらなる防災意識の醸成に努めてまいります。
「政治家はクリエイター(創造者)であれ。」
夢のもてる安心のくらしを地域からつくりだす。
そしてこの静岡県から日本の次の時代をつくる。
これこそが、阿部卓也のシゴトです。
私の座右の銘のひとつに『袋背負いの心』という言葉があります。
初めて目にする方もいらっしゃると思います。 『ふくろしょいのこころ』と読みます。
日本の歴史をひもといてゆくと、創世記の日本のくにづくりの物語、
日本人のもつアイデンティティ”大和魂・やまとごころ”の解説書たる「古事記」にいきつきます。
出典は古事記「稲羽の素兎の段」より「負袋為従者卒往」(ふくろを背負いてともびととなりてゆきき)です。
大きな袋を背負っている大黒様(大国主命・おおくにぬしのみこと)の絵を思い出して下さい。
あの大きな袋には金銀財宝のたぐいではなく、この世のあらゆる心配ごとや、苦労、難題の数々がはいっています。
日本の国づくりをしてゆくために全国を歩きまわった大黒様が、多くの人々と接して、自らひとつひとつの問題に真心をもって対処し、背負ってきたことの全てがあの袋には入っているのです。
政治を志す者として、富や名声でなく、重い荷物を黙々となおかつ笑顔で背負って、くにづくりのために歩いた大黒様(大国主命)のように、「歩こう」「話そう」「真心を尽くそう」と決意しました。
古事記に学ぶ国づくり、地域づくり
座右の書は「古事記」
私の母は浜北の人ですが、父は水戸の出身です。その父方の祖父は東京帝国大学卒業後学問の道を選び、古事記の研究と農業の実践指導をしていました。座右の書が古事記なのは祖父の影響です。古事記には日本の成り立ちが描かれ、神々の話を通して人間の心の真髄突き、楽しいことも辛いことも、さまざまなことを超越していった者が国づくりを為したという点で、大変興味深いものです。みなさまに親しまれている大黒様に打ち出の小槌は本来は労働の象徴、背負う宝袋にも神々が民と共に感じ取った喜びや悲しみなどをしまったもの、つまり苦労の賜物こそ宝という意味です。この価値観こそ、今日本が忘れてはいけないものだと思います。日本の国づくり、地域づくり、つまりは政治の原点はやはりここにあるのだと思います。
熊谷弘元代議士の秘書時代に学んだ3つのこと
いろいろ学びましたが、中でも秘書になるときに言われた3つのことがとても大切に感じています。一つは「秘書は召使いではないから、相手が代議士でも間違っていると思うときは言え」と。二つめは「永田町や霞ヶ関の人間とは仕事でイヤいうほど付き合うことになる。プライベートでは政治以外の人間と付き合うように。そこに良識があり、世間一般の感覚を常に失わないことが大切だ」。三つ目は「本当の政治は現場にあり、永田町ではない」です。
3つの教えは秘書としてだけでなく、政治家としてのベースをつくってくれた
その教えを胸に東京時代もよく地元を歩きました。飛び込みで「何かご用はありませんか?」と。すると本当に生活のなかでのご不満や疑問、ご要望などなど、ほんとうにたくさんのことを聞かせていただきました。「なるほど、政治とは生活そのものだ」とは、その時から体で感じてきたことです。
負けて得たものと、日本を変える「ふじのくに」づくり
その熊谷代議士の後継として一度衆議院選挙に出馬。結果三つ巴の選挙戦で敗北。
あの選挙は、地方志向であった私がせっかくいただいた市議会議員の職を投げ打ち、いわゆる【弔い合戦】的な要素で出馬せざるを得なくなった選挙でしたが、小泉旋風の大逆風で落選しました。時には正しいことでも通らない抗えない大きな波があるということを悟りました。でも、これから本気で政治をやってゆくのなら、正に古事記にあるとおり、世の中の色々な部分を見て、感じて、苦しんでさまざまなことを経験しなさい、という意味だと思いました。今ではあの時に負けたとで、本当に勉強になったと思っています。
負けによって得たものをバネに、次に県議会議員というフィールドへ。
秘書時代、永田町の中枢で日本政治を見てきて、有為な若手や人材が次々につぶれたり、長いものに巻かれていったりする姿を苦々しくみていました。そしてたどりついたのが、【歴史はくりかえす】という結論です。日本の歴史を振り返ってみると、日本の国が大きく変わる「回天」の時は必ず地方からです。都の中からは結局、改革できていない。やはり日本国は地方が変えてゆくのだ、と。だから地方で政治をやりたかったし、特に生活現場にもいられて国にもモノ申してゆける県議を一番やりたかった。本当に地方主権を実現し、日本の将来を拓いてゆく大きなミッションを達成するために、地方は小異を捨て明治維新のときのような薩長同盟と同じ視点が必要です。【維新は地方から発す】。今の国政の混迷をみているとますます確信を深めています。
阿部卓也の政治家としての本分とは?
「阿部卓也の政治家としての本分とはなんですか?」と問われたら、「それは使命感です」と答えます。使命感がある限り一生懸命力の限り、それこそ走り回って泥だらけになっても政治をやらせていただきたい。でも、惰性でやるようになったら、そのときは政治家をやっていてはいけません。次のミッションをもつひとにバトンタッチするべきです。また、たとえ支援者であっても、なんでもかんでも言いなりになってもいけません。軸がブレると本来やるべきミッションができなくなってしまいます。なので、時にはやせ我慢も必要です。
「しかし選挙に通らなければ何もできませんよね?」と言われます。
だから苦しみますが、通るためになんでも言うことを聞いてしまえば、今度は通った意味自体なくなってしまいかねませんから。「負け」を知った強みでしょうか(苦笑)。本当に「楽」だけを知ってしまうとダメになってしまいますらね。でも、大切な仕事がいっぱい残ってますから、絶対負けるわけにはいきません。
川勝平太前知事の誕生で県政が変化したことの意義
川勝平太前知事は良い部分と悪い部分が混在する「人間そのもの」のかたでした。
最後の4期目に入ってからは、残念な部分が目立ち不適切発言等で辞任ということになりましたが、3期目までは静岡県にとって必要な変化をもたらしてくださったと思っています。
前知事は、政治のわかりにくいものを全部机の上に出して議論しよう、というごく一般的な感覚を実践されようとされ、ブラックボックスを嫌われました。ただそうするとハレーションが生じることは必然でありました。なかにはそれぞれの立場をおもんぱかっての交渉などもありましたから、少々乱暴なところもあり、私も当時それをすべてよしとしてきたわけではありません。しかしながら、さまざまなことが表にでてくることで、いろいろな方が関心を持ち議論が生まれ、とんでもないよいアイディアが持ち込まれたり、あやふやにしていたら将来的に絶対困っただろうことが先送りされずに議論されたりということになりました。今日のリニア問題の議論が整理され、JR東海さんが大幅に踏み込んで静岡県の状況を理解していただけた土台ができたのも、前知事の功績であったと感じています。
また、しきりに「静岡県の場の力はスゴい」ということをワールドワイドな目線で語られ、我々議員も県職員も静岡県の魅力を再発見し、その豊かな資源をいかに売り出してだしてゆくかという姿勢をつくりだしてくれたことも特筆しておかねばなりません。
株式会社静岡県の経営者、鈴木康友知事の誕生
川勝前知事の退場をうけて、鈴木康友知事が誕生しました。
私としたら、かつて鈴木康友衆議院議員の政策秘書をつとめたことがありましたので、公私ともにお互いをよく知り、また時には反発をして議論を戦わせてきた近しい仲の政治家です。
しかし、「議会は当局のチェック機能」という一面もありますので、当然ながら議員の矜持として、なんでも知事のいうとおりというわけにはいきませんし、すべてを了とするわけでもありません。
でも、実はいいときに適材適所で鈴木康友知事が誕生したのではないかと感じています。康友知事は着任早々『このひどい県財政はなんなんだ』と吠えました。県の財政に対する見方というのはいろいろありますので、即「財政危機宣言」を出すほどのものでもないかとも言えますが、康友流の「引き締め政策」は必要なときでもありましたので、適材適所という書き方をさせていただきました。
康友知事は経営感覚に優れ、政治家としての経験や人脈も豊富ですので、前知事時代のマイナスの部分を補い、議会との関係など破綻気味であったところは修復し、あらたな民間活力の導入など、静岡県を株式会社的発想でつくりかえつつありますので、そこは好意的にみて協働作業をしてゆく所存でいます。
しかしながら、「人口縮小時代だから非効率な郡部は切り捨てる。」というような、企業経営の論理をそのまま持ち込んでは困るのが行政サービスということは強く主張してゆきます。
「行政が提供しているサービスは構造的に黒字にはできないものもある。それでも必要だから税金を使わせていただいてサービスを提供する。」それが私の持論です。
ちょうど次期選挙から選挙区改編となり、郡部、中山間地、旧過疎地指定をうけていた天竜区や旧引佐郡があらたに選挙区となりますが、郡部向けの政策はまさにこの良い例です。それによって、災害防除ができたり、水源地が守られるという事例は多く、また日本人の魂とも言うべき文化や芸能、風習も多く残っていますので、現場からしっかりと政策立案をして、企業的効率化至上主義とは戦ってゆかねばならないと決意を新たにしています。
あべたく らしさ
将来的な個人としての夢
笑われるかもしれませんが、人生の終末はどんなカタチでも教育者でありたいな、と思っています。肩書きに関係なく、人間教育ということを自分の人生経験からできたら、ひととして最高の人生ではないかと思っています。
県議会議員勤続15年表彰をいただきました。
令和4年10月25日 自治功労県議会議員勤続15年表彰をいただきました。これもひとえに、私の政治活動にかかわってきていただいたみなさまから、深いご理解とご協力をいただき、ご支援、ご指導、ご鞭撻をいただけたおかげです。今日までご支援ご指導をいただいた大勢のみなさまにこころからの御礼を申し上げたいと思います。
政治家は自分の思いだけがあれば、できることではなく、選挙で多くのみなさまからのご負託をいただいてこそです。
これまでの15年間それだけは忘れず、県民のみなさま本位の生活者目線での政治をつくろうと心がけてきたつもりです。まず基本として生活の中にある課題解決には精力的に取り組んできました。また、政治家は「夢を創る仕事」でもあると思っています。常に未来志向で、創造的な政策提言を繰り返してきたつもりです。
私の政治家としての基本は「誰のための政治か」ということですので、その意昧では「県議会議員は静岡県を良くしなさい」というご負託をいただいて、政治をやらせていただいているのであって、政党のために政治をしているわけではありません。
これからも、静岡県民のためにより一層の努力精進をしてまいります。
地方主権の実現に向けて
私の政治家としての大きなミッションは「地方主権の実現」です。
地方が自立してゆく道を探ってゆくことを、地方政治家として考えてゆくことが大切です。わかりやすくいうと江戸時代の封建制度の藩のように、各藩が特産物を創り出したり、財政改革をして、自分の足で立てるように努力をしなければなりません。画一的な日本をつくろうとした中央集権体制から、地方の特性を活かした多様性を伸ばす地方主権体制への変革を模索しなければ、この国の末来はないと思います。
限られた人生の時間をより濃密に
一生の時間は限られていて、広い地球のコトを自分ですべてを経験したり考えたりすることは不可能に近いはすです。だったら、いろんな違う経験をされているかたや、さまざまな考え方、さまざまな地域にお住いのかたのお話をお聞きするだけでも、世界観は広がり、人生観が豊かなものになるだろう、と思っています。
多方面にアンテナを高く保ち、情報収集や直接現場に足を運ぶことで社会の空気感の変化を感じられるような皮震感覚を研ぎ澄ましてゆくことが大切で、皮膚感覚でものことを感じていないと「手ざわり感のある政治」も「ミライヘの種まき」もできないと思います。
そんななかで、ひとつだけ申し上げたいのは、今みなさまからご負託をいただいている政治の仕事は、自分事だけではありませんから、全力で、もてる力も人脈もすべて投入して取り組むべき仕事だと思っています。『とにかくできることを全力でやる!』ということには変わりありません。みなさまには、時にはヒントをいただいたり、お力をお借りしたり、”常に教えていただく”という姿勢で頑張ってゆきたいと思っています。



