GULPも終盤。
場所をミシガン州グランドラピッズへ移しての研修となります。
グランドラピッズは『どこかで聞いたことがあるなあ・・・』
と、自宅でずっー考えていて、はたと思い出して手に取ったのが
「渋沢英一日記」です。
明治42年(1906年)に、渋沢英一が中心になって組織して
3ヶ月におよぶ米国訪問視察・要人との会談をおこない、
その後の日米関係を大いに活性化し、日本実業界の成長に寄与した
「渡米実業団」が訪問しているのです。
『9月29日(水)グランドラピッズ到着。新聞社、家具製造会社など視察。
駐日米国大使オブライエンと接見』とありました。
当時、オブライエンはちょうど帰国をしており、彼の故郷の
グランドラピッズに帰郷していたとのこと。
・・今回の我々は留学研修という、
当時に比べるとずっと小さいDelegate(使節)でありますが
それなりに感慨深いものを感じつつの訪問です。
でも、”同じくらいの訪問意義を創ろう”という意識だけは
高くもっての訪問です。
当時も今も家具の一大生産地であることは変わりないのですが、
今回の訪問地は医療研究・産業の集積地である
”メディカルマイル(1マイルの医療地帯)”といわれる都市再生と
新産業と雇用の創出をおこなったまちの視察など、
アメリカにおける”ワーストタウン(住みたくない町)”から
”ベストタウン(住みたい町)”への再生を遂げた
グランドラピッズのまちづくりのサクセスストーリーを
体感するメニューでした。
この内容を詳しく書きたいところですが、
論文ができそうですので(笑)かいつまんで解説しておきますと、
やはりアメリカで大きいのは成功者や企業による寄付が大きな力と
なっているところは否めません。
グランドラピッズも、このGULPミッションを協賛いただいている
Amway社の本社があり、第38代大統領ジェネラル・フォードの
出身地であり、彼らが官民一体となったまちづくりの活動を協力に推進し、
また、ここが西ミシガン地域の経済の中心地ということもあって、
多くの寄付やNPOによる活動が今日のまちの再生をつくり、
支えつづけていることがよくわかりました。
駆け足の視察やディスカッションですので、
日ごろまちづくりの現場にいる我々地方議員からすると
”もっと深堀りしたいなあ”という欲望がわいてくるのですが、
この短い留学ではそうもいっていられず、五感をフル動員して
学ぶことに集中しています。
残す日程はあと1日。
名残惜しい限りですが、いよいよ最終盤となります。