このところ、憲法改正論議から始まり、教育基本法改正、共謀罪創設論議。
そしてすでに施行されている個人情報保護法。盗聴法。などなど。
うーん、だいじょうぶ?
と、思うような法律や議論が世なのかにあふれるようになった。
なにがというと、日本史や世界史を紐解けばすぐわかるような
「衰亡の歴史」を繰り返すのではないかという危惧である。
ちなみに、私は憲法は改正論者であり、教育基本法もあの法律自体が
倫理道徳が欠落した「片肺飛行」してきた法律だと思っているので
当然改正論者であるが、それのどこを「危惧」しているのかというと、
上記のような非常に国や国民の生活を直撃するような最重要事項に
「永田町の論理」つまりは「政争の具」にされ、法律の肝要な部分が
あやふやになり、やがてはかつて軍部の独走を許し、政治もマスコミも追従した
あの歴史を、ちがった意味で再現してしまうのではないかという恐れを感じる。
あすは憲法記念日。
よーくいろいろなことを考えるには良い機会ではないでしょうか。
政治家は政治が何たる意味の使命をもっているのか。
少なくとも芸能人ではないはずだ。
政治権力というものは、弱い人、はからずも弱い立場に立たされている人、
高齢者、子育て、将来への有形無形の財産の継承のために、失敗してもまた
リカバリーできるような希望のために、そして、
まじめにやっている人が報われるシステムをつくること。
それらが政治家の使命で、それは、日々ふつうに暮らし、
国民の大多数の目線の中で実感をもって生活感を知ることではないのか。
また、ジャーナリストがジャーナリストらしくあるために、
時に権力と戦える存在であるマスコミ人たちが芸能界的な軽いノリで
すべての事象を扱うようになってしまっては、この国の将来は危うい。
物事の「本質」を知ることがとても大切な今日このごろです。
まずは、正しい史実を知らないといけません。
私も、このところ「近現代史」の研究に没頭しているに日々です。
政治家には「近現代史は必須だな・・」と実感しながらの勉強です。