「天保の改革」をご存知のことと思います。
老中水野忠邦による徳川幕府の3大改革のひとつ。
と、思い出されることでしょう。
天保年間1830年から1843年は、
凶作や飢饉が続き、全国で百姓一揆や打ちこわしが多発し、
大阪では大塩平八郎の乱が起こり、
海外に目を向けるとアヘン戦争が勃発するなど、
日本を取り巻く環境は非常に厳しいものがありました。
(なにか、今の日本の状況に似通ってはいませんか!?)
ゆえに必要に迫られ大改革がスタートしたわけでありますが、
このとき実は、幕府だけでなく地方の諸藩でも
同じく「天保の改革」と記録される大改革に着手した諸藩がありました。
それが薩摩、長州、水戸藩など、
のちに明治維新の立役者となった地方の雄藩であります。
薩摩藩では、下級武士であった調所笑左衛門広郷
(ずしょしょうざえもんひろさと)を登用しました。
彼は500万両、いまのお金にすると1兆2千億もの借金返済にメドをつけ、
逆に薩摩藩の蔵に100万両もの貯金を生み出すという
離れ業をやってのけました。
長州では村田清風(むらた せいふう)が
薩摩ほどではないにしろ同じく困窮する藩財政を立て直したのであります。
ほかにもこれら改革に成功した諸藩は幕末期の雄藩として、
明治維新に至る大切な時期に日本を地方からリードした存在になっています。
また、幕府の改革は成功したとはいえませんでしたが、
後の世に名の残る人材の登用は目立ち、
たとえば「遠山の金さん」のモデルとなった遠山景元や、
わが静岡県の韮山藩の江川太郎左衛門などが登用されています。
これら歴史に学ばなければならないのは、
目先の小金の節約ももちろん大切ですが、
それだけでは大きな借金は返せないわけで、大きなプロジェクトを描き
実行してゆく、また実行してゆける人材が必要だということです。
大切なときだからこそ、
目先の小事に戸惑い、大事を見失うことがあってはなりません。
地方から日本を変えねばならない今こそ、
我々地方議員も、この大事をよーく認識しなければなりません。
2月県議会もいよいよ大詰め。
議会の真価、それぞれの議員の資質が問われる議会です。