「天道」すなわち「天の摂理」。
これはつまり「天は公平無私であって、常に善人に味方する」
という天の法則が厳然と存在するのだよ、ということであります。
ところが、政治の世界では、ときにこの天道に逆らう動きをし、
ご負託をいただいている国民や県民、市民のみなさまを裏切るという、
あってはならぬことが平然となされることがあります。
私も本当に憤りを覚えるのですが、
(ある意味この憤りが、私を政治に向かわせる原点かもしれませんが)
これ、ときに先人たちも同じ思いをすることもあったらしく
中国の古典にはそれらを表すことばがあったことを思い出しました。
『天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)』 老子
悪は栄えているように見えても、それは一時のこと。
いつか必ず報いをうける。
また一方で、司馬遷が『天道是か非か』と言い、
悪行を重ねて享楽にふけるものがますます栄え、
自分を律し常に正しき道を歩んでいるものが厄災に見舞われるのは
どういうことなのか。絶望感に襲われる。
果たして天道はあるのか、それともないのか。
と、嘆いた言葉もあります。
私は『天網恢恢疎にして漏らさず』と信じて、
また、それを現実のものとして実証すべく、
まっとうな政治をし、信用をつくりだしてゆくように、
さらなる精進をしてゆきたいと思っています。