警戒区域にある富岡町。
そこに小中学校が健全に現在あれば1500名余の児童生徒が
通学していたということになります。
現在、その富岡町の児童生徒を対象に近隣の三春町に
5つの学校合同で昨年の9月から合同小中学校が設置されています。
工場跡地を改築した学校です。
通学している生徒は今日現在わずか85名。
理由はさまざまでしたが、
「かえってこられない」という重い現実が
鋭くしかも厳然と突きつけられた思いがしました。
先生方でさえも『いつ富岡町に帰れるのかわからない。
ただ漠然とわかっているのは「しばらくは帰れない」ということだけです。』
と重い言葉を発するしかない状況に、またしても愕然としつつ
現実を思い知ることができました。
「仮の町構想」が進んでいるところもありますが、
徐々に減少してゆく過疎問題ではなく、
いきなり”町が消える””町が土地ごと消える”という
現実を思い知りました。
見る限りこどもたちは元気でいてくれるようです。
しかし、実際には不登校などもこの学校でもあるそうです。
先生方は通常時並みの配置だけに手厚い教育体制なのですが、
こどもたちにも影を落としていることを垣間見ることができました。
今日で3日間の行程が終了しましたが、
今回の福島県への視察は、とても意義深いものであったと思います。
『今後なにかにつけて「福島」を意識して考えることになるだろうな』
と、道々考えながら帰路をたどっています。
みなさん。
3:11東日本大震災と福島原発事故は風化させてはなりません。
私たちだけでなく、未来の日本、未来のこどもたちのことを
考えれば風化なんてさせられる問題ではありません。
今後とも「福島」を忘れずにいつまでも直視していただけるよう
お願いして、今回の視察の総括にしたいと思います。