今日、ほんとうに悔しい別れがありました。
同級生の弟が急死したのです。
まだ、36歳の働き盛り。病気だったわけでもなく
突然倒れて、帰らぬ人となってしまいました。
私も弟を亡くしそうになったことがあります。
それも突然でした。
もう8年ほど前になるのでしょうか。
当時六ヶ所村の原子力技術者だった弟は無理がたたって
突然倒れ、親に電話があったときは「危篤」との知らせ
だったそうです。東京に住んでいた私は朝一番の飛行機で
青森に飛び、とにかく弟のところに駆けつけました。
医者からは「このまま亡くなったら、『過労死』と
診断書をつけます」とまで言われましたが、
どうにも状況が飲み込めず、自呼吸が戻らない弟のベットの
横で、何度も「どうして?」「ちょっと待ってくれよ」
「勘弁してくれよ」「なんで?」というような言葉ばかり
つぶやいていたような気がします。
非常に申し訳ない比喩ですが、
祖父母や親ならまだ”いずれは順番がくることだ”と、
気持ちの整理もできたのでしょうが、
自分より若い弟が死の淵にいるということが、
なかなか理解できない、状況がわからない、混乱してしまう、
というような状態でした。
幸いにして、彼は息を吹き返し命をとりとめ、
今は元気に家業を継ぐべくがんばってくれています。
でも今日は、”失ってしまった”方々の現実に立ち会う、
最もあってはいけないはずの告別式でした。
遺族のみなさんを私は直視できませんでした。
きっと予想だにしないあまりの突然な不幸に、
自分自身の身体を無理やり引きちぎられたような
言いようのない痛みに耐えておられるだろう、と思うと
くやしくて、くやしくて、涙があふれてしかたがありませんでした。
目があったら泣いてしまう、
ご遺族の痛みを増大させてしまうのでは、
と、それだけを恐れていました。
なにもできない無力感をつくづく感じました。
この一年ほどで、こんな悔しい別れが三度になってしまいました。
親友の奥さんが29歳でガンで逝き、
幼馴染の同級生が39歳でやはりガンで逝き、
そして今回は同級生の弟です。
「命」というものの尊さを、
切りつけられるような感覚で、えぐられるような感覚で、
思い知るこの「悔しすぎる別れ」です。
ご冥福をこころからお祈りいたします。