政治家には挨拶はつきものです。
ましてや、政治を志す者には挨拶にゆくこと、
会合等で挨拶をさせていただく機会を頂戴することは
自分の考えや人となりをご理解いただくための一番の
チャンスだけに本当にありがたいことです。
でも、挨拶は本当に難しく、
短時間で簡潔に内容濃く、しかもわかりやすく伝えることには
いつも悩むことばかり。
何度か、私の家は臨済宗の古刹の檀家総代だと書いたことが
あったかと思いますが、禅の世界では「挨拶」のことを
このように解説しています。
「挨」とは「迫る」こと。「拶」とは「切り込む」こと。
師弟の問答のやりとりのことをいう。と、ある。
まさに政治家および政治を志す者の挨拶かくあるべし。
真理に切り込む迫力、力強さ、洞察力、探究心、そして奥深さ。
これらが”魂”となって
「挨拶」に宿るようにならなければなりませんね。
日々、己に言い聞かせる今日この頃です。
ただのこころのない「よろしく」や、
「美辞麗句」や「新聞の見出し」を並べただけの薄っぺらに
ならないよう、「挨拶」を大切にしてゆきます。
でも、「魂」は一朝一夕では入魂できるものではありません。
これまでの自分の人生観や修練の結果が赤裸々に問われます。
魂が入っているか否か、それが資質となるのでしょうね。
政治とはそんな「剣が峰」を歩くがごとし、
でよいのだと思います。
それができてこそ、
次の時代を担い、つくってゆけるはずですから。