文教警察委員会の視察で福島にいます。
静岡県警から福島県警への応援は、のべ1467人。
いまも今年4月から1年の任期で24名の警察官が
出向していただいてます。
その警察官のみなさまの業務内容の確認と激励も兼ねた視察と、
福島第一原発の周辺の警戒区域と帰還困難地域、
居住制限地域の視察、
避難していいる町が他町に設置している
幼稚園・小学校・中学校の様子などを
3日間にわたって視察する行程です。
朝、最初の訪問地である福島県庁で現在の被災状況、
警察の活動状況などの説明を受けた上で、
福島周辺勤務の静岡県警察官のみなさんの激励。
その後、線量計を渡されバスに乗り込みました。
緊迫の一日がスタートしました。
視察先は11箇所。
①川俣警察署・双葉警察署川俣分庁舎
②双葉警察署浪江分庁舎
③検問所
④大熊町請戸漁港
⑤福島第一原発敷地内展望台
⑥オフサイトセンター
⑦双葉署(現在は使えない)
⑧JR富岡駅(津波被害甚大)
⑨検問所
⑩スクリーニング場
⑪双葉署臨時庁舎
現在全町避難となっている「警戒区域」は4町。
「浪江町」「双葉町」「大熊町」「富岡町」
上記視察先はほとんどこのエリア内です。
ゆえに、パトカーの先導で検問所を通過して視察にはいりましたが、
検問所手前の途中の飯館村も居住制限地域や帰還困難区域が
ありますが、確かにガイガーカウンターの数値は高く反応します。
福島市からの移動のバスの中でもこの変化に緊迫でした。
警察関連施設では、現場警察官のみなさまから
地震および原発事故当時の生々しい様子や、
現実問題としての課題や防災のありかたなどを、
法改正の必要性や国との関係のありかた、
自衛隊や米軍との協力や、人材育成のありかたなど
とても現実的な大きなご示唆やご教示をいただきました。
移動のバスのなかでも同僚議員や同行した警察総務部長とも
ひとつひとつ確認しあいながら議論しましたが、
今回の視察の意義と意味の大きさをあらためて痛感しました。
また、警戒区域内での業務に従事される警察官のみなさまには
本当に頭がさがりました。
独身者ばかりかと勝手に思っていたのですが、
ご家族のあるかたも多く、先週お子さんが生まれたかたも
いらっしゃり、遠く離れた福島で大変な業務にあたられている
ことに胸が熱くなり、『お願いします!』と思いっきり握手し
頭を下げるしかありませんでした。
あらためて、心からの敬意と感謝を申し上げたいと思います。
検問所のある浪江町の請戸漁港の津波被害はすさまじく、
元は田畑だと思われる場所にぼろぼろになった漁船や車が転がり、
住宅地だった場所は基礎の土台だけが残るだけ。
残っているのは、荒廃した請戸小学校と漁港の大型施設など。
荒涼とした大地と堤防を失い大波が押し寄せる漁港跡地。
・・・とにかく言葉を失いました。
福島第一原発に向かう双葉町や国道6号線沿いでは
かつては一面の美田であったであろうところは、
セイタカアワダチソウがにくらしいくらい見事に育ち
どこまでも黄色の海でした。
本来ならば、今頃は黄金色の稲穂の海が
こうして秋風にどこまでも揺れていただろうに、
今日の風景は「ふたばの米」と書いた看板の下に
揺れるセイタカアワダチソウの海。
農家のみなさまのご無念はいかばかりか。
悔しくてならない光景でした。
空は青い秋空。
川はせせらぎ、遠くに見える山々はそろそろ色づきはじめる。
そして秋の涼風が木々を揺らせる。
すばらしい秋の日と日本の原風景がそこにはありました。
でも、ちがうことはそこには誰もいない。という事実です。
福島第一原発のある大熊町にはいると
町を歩いていたのは、牛とブタとイノシシです。
目の前にテレビでみていた光景が現実として広がります。
原発から5キロの本来使われるはずだったオフサイトセンターでの
線量は5.52mSv。高くなっています。
そして、いよいよ福島第一原発敷地内の展望台に向かいましたが、
手前の検問所で、線量が高くなっていて危険ではいれないとのこと。
持ち込んだ簡易型のガイガーカウンターは「計測不能」。
聞けば20mSv以上はあるであろうとのこと。
後世のためにもこの原発施設を少しでも見て
心に刻んでおきたかっただけに残念至極ではありましたが、
こればかりは致し方ないことです。
目に見えない危険が現実にそこにありました。
それだけを実感した瞬間でした。
その後、福島第2原発内にあるスクリーニング場での
スクリーニングを経て検問所をくぐり警戒区域からでましたが、
本当に緊迫感と重く大きなものをいただいた視察となりました。
私の線量計の1日の数値は0.007mSv。
通り過ぎるだけだったので、これで済んでいますが
さすがにここでは暮らせないことを実感させられました。
東日本大震災・原発事故から1年半。
あの未曾有の大災害の記憶が風化されてきている気がします。
でも、現場には予想以上に厳しい現実が待っていました。
被災地で今日もさまざまな業務にあたっておられるかたがた、
我が家に帰れず、避難生活を余儀なくされるみなさま、
そんなみなさまのご労苦やご心痛を目の当たりにして、
この視察を決して無にしてはならない、
あの大災害の記憶を風化させてはならない、
と、あらためて誓う一日となりました。