惜別。澤穂希選手引退

女子サッカー界を長きにわたって支え続けた澤穂希選手が
昨日の皇后杯優勝を置き土産に引退されます。
しかも、この大一番に決勝ゴールを自ら決めての1-0。
この勝負強さ。
”すごい!”としか言いようのない選手です。

2011年のワールドカップでの奇跡的な日本の逆転優勝への道をこじあけたのは、
まちがいなく澤選手でしたし、現在の「なでしこジャパン」のメンバーを
引っ張り育ててきたのも澤選手でした。

「勝負強い」というのは、”持って生まれた運だ”というかたもいらっしゃいますが、
私は彼女をみていると、そうではなく徹底した努力の賜物だと思います。

彼女が最初に日本代表になったときのことを覚えています。
確か彼女が15歳だったでしょうか。
NHKの朝のニュースのスポーツコーナーだったかでとりあげられていて、
たぶんJリーグが始まったころで、”へえ女子サッカー”と思った感覚を覚えています。
”ガタイが良くて(失礼)シュートが鋭いなあ”という印象でした。
その後、まったく忘れていて「なでしこジャパン」が話題になり始めて
中心選手と紹介されるようになって、”ああ、あのときの”と思いだしたのでした。
そのとき”顔つきが変わった”と思ったことも覚えています。
今思えば、彼女は私が忘れていた15年間くらいの間に、
単身アメリカに渡り、困窮する女子サッカー界のなかで孤軍奮闘してきたのでしょう。
たぶん精神的に立ってられない状況も、やめたいと思うこともきっと何度も経験したはずです。
それでもなお、彼女は頑張りつづけ、だんだんとみんながついてきて
彼女こそが、今日の日本女子サッカー界の栄光を築いたと言っても過言ではないと思います。

「勝負強さ」は、どれだけ逆境に耐え抜き、打ち勝ってきたかで生まれるものだと私は思います。

『苦しいときは私の背中を見て』
『夢はみるものではなく、かなえるもの』
これらの彼女の言葉には、言い表すことのできない重みがあります。
澤穂希だからこそ言い得たことばだろうとも感じています。

女子サッカー選手として、世界的なレジェンドであることは間違いないことですが、
日本に人間としての澤穂希さんが存在してくれたことにも、
日本人のひとりとして、誇りに思い、こころからの感謝をしたいと思っています。

今後は、まずはひとりの女性としても幸せをかみしめていただける次の人生を、
澤穂希さんらしく生きていただきたいなあ、と思っています。

澤穂希選手、本当にありがとうございました!
誰もが称賛するであろうすばらしいサッカー人生でした!
こころからの惜別の念を表したいと思います。
おつかれさまでした!

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