浜松市のいちばん北部の山間部、
長野県境に旧水窪町(みさくぼちょう)があります。
ここは、私が長年仕えた熊谷弘元内閣官房長官のふるさとでもあり、
私も水窪のみなさんには、ほんとうによくしていただいて
”第2のふるさと”と思っているところです。
その”水窪のじゃがいも”を水窪出身の友人からいただきました。
水窪のじゃがいもは、小さいのが特徴です。
わたしは、このじゃがいもが大好きなんです。
味も姿も、その深い”存在意義”も。
なぜ小さいか、というと、
山間部の傾斜地につくった畑は石が多く、
じゃがいもが伸び伸びと大きく育てない、
という悪条件があるからだそうです。
でも、この小さい”水窪のじゃがいも”実は本当に美味しいんです。
このじゃがいもを見ると、
かつて、熊谷先生が言っていたことをよく思い出します。
『このじゃがいもはなあ、見てくれは悪いかもしれないが、
石ころだらけの条件の悪い畑でも、必死になって育ってきた強さがある。
苦労するということは、強さになり、濃密な味となって出てくるんだよ。
人間もこうでなくちゃなあ。なあ阿部君。苦労はしなさいよ』
このじゃがいもの味には、本当に水窪のひとたちの汗がしみこみ、
愛情がしみこみ、魂がしみこんだ、濃密さを感じます。
私たち現在日本人は飽食に慣れすぎていて
こんな”おいしさの裏側が感じる心”を失いがちです。
”失ってはいけない大切なもの”は、
ほんとうにたくさんあります。
それらを、しっかりと子どもたちに伝えてゆくこと。
そしてこれからの日本を、静岡県を、ふるさとである地域を、
創ってゆくときには、しっかりと織り込んでゆくこと。
そんなことをちゃんと心掛けてゆこうと
あらためて感じさせてもらった、
”小さなじゃがいも”の味です。
久しぶりに出会えたことに感謝です。
ホントにありがとうございました。