今日は建国記念日。戦前は「紀元節」と言っていました。
今朝の新聞各紙の社説等々には、憲法改正問題や皇室典範問題や
さらには「建国記念日」についての歴史解釈をめぐっての諸説が百家争鳴だ。
「歴史の真実」というのは、本当に正解を導くことは難しく
昨年「日本の近現代史」を徹底して研究した際も、痛感いたしました。
歴史資料がまだ多く実在し、機密文書などの公開もあり、
より「真実」へ近づいている近現代史と違い、「日本の古代史」は
それこそ闇の中の感覚だ。
その諸説に目くじらを立てる社説や報道を展開するよりも、
建国記念日には、やはり日本に暮らす日本人であることに感謝をしたり、
日本の伝統文化や悠久の歴史のなかを連綿と伝えられてきた祭儀・祭事に
目を向けて、素直な気持ちで「日本の誕生日を祝おう」
「日本人であることを祝おう」ということにしないのだろうか。
”重箱のスミをつつく”のではなく、
日本のよいところにスポットをあてること、
それが今日の「建国記念日」であるべきではないだろうか。
それができなくなってからこの国は頭でっかちの理屈ばかりの、
心のない国になってしまったのではないだろうか。
マスコミにも切り口を変えてもらって、
また我々自身が身近な「日本」を発見できるように視線を変えてみること、
それが大切だと思います。歴史解釈論議はその上でするべきことでしょう。
まずは、なによりも「日本という国がある」ということ、
「日本人がこんなにもたくさん実在している」という事実。
そのことに感謝することからはじめなければいけません。
以上が今日氏神さまの春季例大祭に参りながら考えたコト。
こんなこと考えながら、昨年の地域の息災へのお礼と
今年の五穀豊穣、無病息災を祈る手を合わせました。
「感謝」はどこでも基本ですね。